小泉進次郎さんと滝川クリステルさん夫妻に第一子が誕生しました。
息子の名前は「道之助」と命名しており、この「道」という文字は、小泉進次郎さんの育ての親である叔母・道子さんから取ったんだとか。
しかし小泉道子さんは、進次郎さんの実母を小泉家から追い出した張本人との噂も・・・
小泉家の離婚の真相を調べてみました。
小泉進次郎の叔母・道子が実母を追い出したって本当?離婚の真相とは?
2020年2月5日、小泉進次郎さんが息子の名前を公表しました。
小泉進次郎環境相とフリーアナウンサーの滝川クリステルさん夫妻が、1月17日に誕生した長男に「道之助」君と名付けたことが5日、分かった。小泉氏によると、「道」の字は、自らの父、純一郎元首相の姉で、育ての親である故・小泉道子さんにちなんだという。
引用:産経新聞
しかしこの発表を受け、以下のようなコメントが見受けられます。
実母を追い出したと言われる純一郎氏の姉の名前をつけたのには驚きですけど。
よくつけましたね。
お母さんの名前からならわかりますけど。
この道子さんや親父が実の母親と三男を追い出したんじゃなかったっけ?日頃から叔母は実の母親をイビっていたとも。そんな人の名前をよくつけたな。
読みやすくいいお名前と思ったけど、実のお母様を追い出した叔母から道の字をとったと聞くと、なんか残念な気がする。
底的に育ての母親を慕っていると言うことですね。実の母親は寂しいでしょうね。その寂しさは、自分も親になったのだからいつか分かるでしょうに。
小泉進次郎さんの叔母・道子さんが、進次郎さんの実母を追い出したといったコメントが多いようですが、真相はどうなのでしょうか?
小泉道子プロフィール

小泉道子さんは、小泉家の長女として生まれています。
- 長女:道子
- 次女:隆子
- 三女:信子
- 長男:純一郎
- 次男:正也
小泉純一郎さんが離婚した時、孝太郎さんは4歳、進次郎さんは1歳でした。
2人が寂しい思いをしないようにと、道子さんは母親代わりになりました。
- 幼児の時は一緒に添い寝
- 授業参観や遠足にも積極的に参加
- 学校の見送り
- 家に帰ると優しく・温かく迎えてくれる
進次郎さんは中学生になるまで「ママ」と呼び慕っていましたが、中学2年生の時に道子さんは実母ではないと知りました。
進次郎さんは大きくショックを受けましたが、「(道子さんは)本当の母親だ」とはっきり口にしたそうです。
このように物心つく前から道子さんに母親同然の愛情を受け恩を感じていたため、進次郎さんの息子にも「道」という文字を付けたんですね。
小泉道子さんは、2016年8月に84歳で死去しています。
小泉進次郎の実母が出ていった理由は、叔母・道子が追い出したって本当?

小泉進次郎さんの両親が離婚した理由については諸説あるようですが、「母・佳代子さんが家庭内で居場所がなくなった」のが大きな原因だと考えられています。
小泉家は純一郎さんの父・純也さんが政治家だったことから、家族みんなで支えるという方針がありました。
小泉家には家訓が20個ほどあったようです。
- 語学ができる
- 社交界に出られるようなタイプ
- 政治には素人である
- 地元の人間ではない
- 性格や気性が穏やか
- 身長は160cmくらいまで
- 作法がきちんと守れる
- 夫や小泉家に忠誠心を持つ
母・宮本佳代子さんはこれらの条件に一致していたため、結婚当初は「いい嫁が来た」と歓迎されていました。
しかし、良かれと思って純一郎さんの選挙の応援に出た事が「嫁は選挙運動に加わらない」という家訓に反して大目玉をくらってしまったんだとか。
また、当時の小泉家には純一郎さんの母、長女・道子さん、三女・信子さんも同居していました。
母・佳代子さんは家事も含めて家庭内に居場所がなくなり、息苦しくなったことが家を出る原因ではないかと考えられています。
佳代子さんは当時から道子さんと折り合いが悪く、道子さんの葬儀の参列は断られていました。
また、純一郎さんの秘書として献身的に支えていた信子さんとも度々衝突していたそうです。
「結婚当時、小泉家では純一郎さんの母や、信子さん、その姉の道子さんらが選挙と家事を取り仕切っていました。その中に長男の嫁として飛び込んだ佳代子さんでしたが、“女系家族”の壁は厚く、なかなか居場所を見つけられませんでした。厳しい姑、小姑に囲まれながら、まだ学校を卒業したばかりのお嬢さんがなんとか頑張っている感じです。才媛で物事をハッキリ言うタイプの彼女にとって、つらい時期だったでしょうね」(小泉家関係者)
実際叔母の道子さんが”追い出した”のかは不明でしたが、小姑との同居はだれでも厳しいものがありますよね^^;
これが政治家の家族という特殊な環境なら、更に厳しかったでしょう。
母・佳代子さんが家を出た当時、佳代子さんのお腹には6か月の赤ちゃんがいました。
2人の乳飲み子を置いて、身重の体で家を出るのは相当の覚悟が必要ですよね。
それでも実行するくらい、心身ともに厳しい状態だったようです。